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新宿・新大久保 タイ古式マッサージ 歴史

新宿・新大久保 タイ古式マッサージ 歴史

2020/11/11

タイ古式マッサージ(タイこしきマッサージ、通称: Nuat phaen boran、タイ語: นวดแผนไทย)は、
タイ伝統の一種のマッサージであり、指圧による揉み動作だけでなく四肢を曲げ伸ばすストレッチを含んでいる。
「古式」とあるが、西洋近代医学を取り入れたアレンジも行われており、宮廷に伝承されたものにはストレッチ
の技法はない。
「Nuat phaen boran」を正確に翻訳すると古式マッサージないし伝統的マッサージであるが、現在、
タイマッサージ、古式マッサージ、伝統的なタイのマッサージ、タイのヨーガマッサージ、
タイの古典のマッサージ、タイの整体、受動的ヨーガ、あるいは支援つきヨーガとしても知られている。

本来タイ式医療(英語版)の一部であり、長い伝統医療、宮廷医療としての歴史がある。
1990年代にスパにおける健康法・美容法として行われるようになった。現在知られるものは、
1980年頃を境として、タイ政府の後ろ盾を得ながら復興・構築してきたタイ式医療の一分野、
タイの無形文化遺産であり、観光文化のひつと目されている。近年では、タイ以外の国々でも
健康法やリラクセーションとして親しまれている

タイ式マッサージは本来タイ伝統医療の一部であるが、タイの伝統医療はインドで成立した仏教医学や
アーユルヴェーダの影響を受けていると考えられ、伝統的な体液理論を特徴としている。
被術者はマッサージのコースの間に多くのヨーガと同じ体位をさせられるのが特徴である。
シャーマニズムやアニミズムとも深く関わっており、本来ボーンナイフを使った荒療治や聖水を
使った徐霊や薬草学等と組みあわせた古式総合医学として認知するべきであるが、
マッサージ手技のみクローズアップされ現在に至る。こういったトータルで施術できる人は、
タイ本国でも減ってきている。達人と呼ばれる人は麻痺などの治療も行っているが、
現在それらのノウハウも廃れてきている。

宮廷でも医療の一環として行われた。アユタヤ朝時代の文献「ナラーイ王の薬方」には、
マッサージが宮廷で治療法として用いられたことが記録されている。宮廷の中にはマッサージ師という
職位があり、比較的高い地位であった。1887年には王立シリラート病院が開設され、宮廷医療と
栄養近代医療が併用されたが、1915年にタイの伝統医療による治療・教育が禁止され、
医療の現場では行われなくなった。1970年代WHO(世界保健機関)は、1978年の
「アルマ・アタ宣言」でプライマリ・ヘルス・ケアという保健医療政策の理念とその目指すべき
方向性を示し、宣言ではプライマリ・ヘルス・ケアに必要であるならば伝統的治療者の力も利用すること、
といったことが述べられ各国の伝統医療復興に大きな影響を与えた。
タイでも伝統医療復興運動がおこり、タイ政府は自国の伝統医療を再びその中に取り込み始め、
1980年代から始まった「タイ・マッサージ復興プロジェクト」、1990年の「タイ式医療の制度化」
で医療に復活した